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日記と雑文を掲載しています。実在していた人物について創作していることもございますのでご注意ください。

能のアイデンティティ

 

能という言葉には、「できる・能力がある」という意味の他に、「知恵・技術」という意味がある。能楽における「知恵・技術」の結晶である能面は、能楽能楽足らしめるアイデンティティとも言える重要なものだ。私は、「能面」という物質的観点と、それがもたらす効果という精神的観点から今回の鑑賞をひもといていこうと思う。

私が能面との初対面を果たしたのは、公演開始前の展示室でのこと。所狭しと並べられた面は、どれもとても歴史あるものだというのに、深く刻まれた表情は、人間の不変の感情を突きつけてくる。端的に言えば、感情のトリガーになりうる、非常にパワフルなものであった。

しかし、私はここでふと違和感を覚えた。確かに力強さはあるが、それは一瞬の感動を切り取った故のもの。これらの面からは、表情の「変化」を感じられなかったのだ。ガイドにあるように、上から見てみたり、下から見てみたが同じこと。そこには静止した、名詞化できるような表情しかなかった。

能の上演中に、演者が能面をつけかえる、とは聞いたことがない。いったいどのように感情の変化を表現するのだろうか。日本古典芸能への絶対的信頼感のもと、のんきにそんなことを考えていた私は、数十分後、襲い来る感情表現の嵐に飲み込まれることとなる。

演目についての解説と狂言が終わり、休憩を挟んで能がはじまってから少しして、私は再び違和感を覚えた。演者、いや能面が、笑い、悲しみ、生き生きとその表情を変えているのである。何故?先程どんな視点から見ようと変わらなかった面が、今、生きて、私に一人の人間の感情を伝えている!それは予想し得なかった新鮮な感動であると共に、人形劇でなく、歌舞伎でなく、狂言でなく、能が能として存在する、ある種猛々しささえ感じる深いアイデンティティとの邂逅であった。

能は、正直に言えば気軽に見に行けるものではない。他の煩悩が脳を去来することすら許されないほどの集中を要求される。しかし、精神力を削ってでも見る価値はある。私に言えるのはここまでだ。私がかつての文豪のようであったなら、嗚呼、もっと言いたいことを言えたのかしらん。とはいえ果たして、私は一介の学生だ。能が、しかるべき人々に認められ、後世までも遺ることを、ただ祈ろうと思う。

(934字)