日記と雑文を掲載しています。実在していた人物について創作していることもございますのでご注意ください。

夏休みの哲学

 

 さて、早速ではあるが、本日9月1日は言わずと知れた夏休み最終日である。そして、その最終日に宿題を書いているということは、私の宿題の進捗状況は危機に瀕している、どころか崖っぷち、ということである。

 とはいえ、宿題が終わっていないのは何も私だけではない。ひとたびメッセージアプリを起動すれば、画面は同級生の悲鳴であふれかえっている。思えば、長期休暇に伴う宿題は年三回の恒例行事だが、夏休みの宿題はどうも重く感じられる。いったい何故だろうか。私は夏休み、ひいては夏休みの宿題について哲学してみることとした。

 まず、夏休みは長いが、そのぶん予定が多いことが問題である。高校二年生の夏休みともなると、部活、夏期講習に加えオープンキャンパスなどにも行かねばならない。普段はなかなか行けない講演会や美術館を訪れるのはもちろん、大切な青春だ、遊びだって忘れてはならない。旅行に行くこともあるし、家に帰れば母親から家事を手伝ってと「お願い」をされることもある。下手をしたら普段よりも多忙だというのに、ただ「夏休みは長いから計画的にやればなんとかなる」、などというどこぞの元知事並の甘い考えで宿題をだしてくるのだから、大人はやはり傲慢である。

 次に、非常に大きい要素として気象状態があげられるだろう。何をしても暑く、図書館に向かおうとも、好きでもない勉強をしに着替えるのが面倒でない女子高生などいるのだろうか。何度も水を汲みに立つのを疎い、卓上にカップを置けばひっくりかえしてテキストを沈めるのがお約束である。

 もうひとつ、忘れてはいけないのは、どこに行っても目に付く「夏休み限定」である。アイスクリームに、テーマパークの割引、テレビの特番まで、夏休み中、陰謀とも呼べるこの凶悪な文字列を目にしない日はない。宿題は年中無休、夏休み限定は夏休み限定。どちらをとるべきかは明白だ。

 しかしそれでも、宿題はやらなければならない。甘すぎる夏休みの味をグッと引き締めてくれる、そう、いわばエッセンスなのだから。そうとでも思わなければ、後ろから響く「最終日まで宿題をやっているなんて!」という吠え声に耐えられそうにないのである。

 この作文が創作か実話か、それは夏休みのみぞ知る。

 

(924字)